吉田松陰の名言



吉田松陰の名言


「夢なき者に成功なし」

昔も今も変わらない(的確であるという意味)し、多分これからも変わらないのでしょう。


昔と今とでは、環境も様相も大いに違います。



「言論の自由」とか



「職業選択の自由」とか

(“自由”の概念にはどうかと思いますが…)


それなりに、自由っぽいものが許されている現代です。



昔は、


百姓が武士になりたいと思っても簡単になれないし、政治に文句を言えば、罰せらし…


理想や夢などの範囲が、今よりも断然狭い世情だったわけですが、


現在はその範囲がデカ過ぎてしまい、

何が理想で夢なのか、掴みどころのない…


そんな状況の中にいるのではないか、と思います。




行動経済学の「選択肢が多いと、選択しない」ということではなく、その「選択肢に何があるのか」を知らない、という状況です。


色々なモノ、コトがあり過ぎて何があるのかも分からず、

結局何が自分に良いのか、適しているのかも掴めず、



ちょっと理想を語れば、「現実を見ろ!」「現実は甘くない!」とブレーキをかけられ、

ちょっと夢を語れば、

「夢では飯は食えぬ!」「お前には無理だ!」と抑止されることも…


自由をアピール(強調)し、自由の平等さを謳っているのに、自由っぽく見せているだけで、他人が自身の自由を奪っている現実。


法律上の「自由」は、錯覚なのでしょう。


「若い人は夢がない」とか「目標がない」とかたまに聞きますが…


夢や目標を与えられない家庭や学校、社会環境があると思っている人もチラホラいると思います。

中高年者あるいは学校の先生、会社の上司や先輩が夢や理想について語れない、のかもしれません。



このことを「因果論」で捉えると、

夢や目標を持てないのは、親や環境のせい(責任)である・・・となります。


これを「目的論」で考えると、

学校や社会は、全員が各々の夢や目標を持ってもらうと困るので、

夢や目標を持たないように仕向けていることになります。


例えば、学校の先生は、自身の夢や理想はほとんどないはず…。

そうじゃない方ももちろんいると思います。


もし「教え子たちが立派な大人になることが先生の夢です」

みたいなことを語るような先生がいるなら、確認してみてください。


「立派な大人って何ですか?」って。


学校の先生(公務員)は、学校社会の経験はあっても一般社会での経験はあまりないわけで、

一般知識、学識はあっても、社会的見識はないのが現実です。



また個人においては、

夢や目標を持ち、それに向かって行動することは、

大変なこともあるし、何かあった(失敗した)場合に責任を負えない(負いたくない)。


そのため、

夢や目標を持たず、他人から与えられる目標やレールに乗って人生を送ったほうが楽ではないか・・・と考えているのかもしれません。





「夢なき者に成功なし」に対して、


「成功」を考えていないので「夢を持つ必要はない」・・・と解釈することもできる。


「成功したい」と願う人は、「夢や目標」を持つことになります。


何故なら、「成功」=「夢、目標の達成」だからです。


「成功」するイメージを想像・妄想することが「夢、目標」であり、


その実現・達成が「成功」である、ということを知っているわけです。

「成功」の姿というものが未来像であり、人それぞれの自己概念であっても、

次のようなことが言える、のだと思われます。



成功する者には実行(決断力)があり、

実行ある者には計画(企画力)があり、

計画ある者には理想(構想力)があり、

理想ある者には夢 (受容力)がある。

故に、成功する者には夢がある。